第29話 孤独なナイト

 川沿いの道を、スイクンに跨ったやすいくんが駆ける。目の前に敵の姿をイメージし、そこに向かって剣を振るう。来るべき時に備え、やすいくんはひたすら特訓に明け暮れる。想像を絶するほどの恐るべき強敵、メテオ・ブラック。奴に勝つためには、今よりももっと、ずっと強くならなければならない。弱い自分を変えるため、その剣は空を切る。
 学校から帰った後、やすいくんはずっと特訓を続けていた。いつしか日は暮れ、すっかり月が昇っていた。
 流石に疲れたやすいくんはスイクンを降り道端に腰を下ろすと、水道水をたっぷり注いだペットボトルを開けて、一気に飲み干した。隣で道端の雑草をもしゃもしゃと食べるスイクンの姿を見て、やすいくんの腹が鳴る。ふと、わたあめから差し出されたパンの映像が脳裏に浮かんだ。やすいくんは、強く目を瞑り首を横に振る。
(俺に……あんなものは必要ない!)
 見上げる夜空に、輝く満月とまばらな星。あの日の夜も、満月だった。
 破壊される町。快晴の空を、煙が覆ってゆく。人々の悲鳴と、怪人の笑い声が木霊する。やすいくんは一心不乱に逃げた。己の役目を遂行するため。たとえ目の前で数え切れないほどの命が奪われていたとしても、救うこともなく、手を差し伸べることもなく、血の海に蹄の音を響かせて、ただひたすらに逃げた。
 ゾウラ族の支配地区を何とか抜け出しても、その後は子供一人と動物一匹の険しい旅路。何度も死にそうになったが、それでも挫けることなく何度も立ち上がりわたわ町を目指した。旅の資金は国王から渡された水晶細工などを売ることで得た。どれも国宝級の代物だったが、相場の100分の1にも満たない安価で買われていった。命からがらわたわ町に辿り着いた頃には、すっかり資金は底をついていた。それでも何とか格安のアパートに部屋を借りることができたが、その生活もいつまで続くかわからない。
 家族も、友も、何もかも失った今の自分は、一体どこに向かえばよいのか。今はただ、強くなることしかできない――。
「……そろそろ帰ろうか、スイクン」
 やすいくんはそう言って、スイクンの背に跨る。スイクンは食事を止め、アパートに向けて走り出した。貴族として生きてきたやすいくんにとって今の極貧生活はたまらなく辛いものだったが、あの地獄の日々を思えば帰る場所があるだけ相当マシなのだ。家賃を払えなくなる前に、何か金を稼ぐ方法を探すべきか……そんなことを考えながら、やすいくんは帰路を進む。
 突如、雷が落ちたかのような爆音が響いた。直後、空に向かって土煙が上がる。やすいくんの住むアパートの方だ。
(何だ!?)
 背筋が凍るような胸騒ぎを感じたやすいくんは、慌ててスイクンを走らせる。杞憂であってほしいと、繰り返し願いながら。
 だが現場に着いた時、やすいくんの願いは儚く砕かれた。
 アパートが、倒壊している。やすいくんは、月明かりに照らされ瓦礫の上に立つ人影を見る。そのシルエット、クリスタリアで見たことがある。全身の毛が逆立つ感覚。やすいくんは、身震いした。
「貴様……メテオ・ブラックの手下だな」
 やすいくんは一度深呼吸をし、人影を見据えて言う。
「カッヴァッヴァ。いかにも、俺こそ破壊部隊の一人かばいかつひろ。この町は全てこの俺が破壊してやるカヴァ」
 かばいかつひろと名乗る怪人は、やすいくんを見下ろし話す。灰色の肌に、大きな口と鼻の穴。その怪人は、まるでカバのような姿をしていた。


「何故破壊部隊がここにいる!」
「そんなもの、侵略するために決まってるカヴァ。俺としちゃ水晶騎士がこんなところにいることの方が不思議カヴァ」
 かばいかつひろは、恐ろしい形相で怒鳴るやすいくんを軽くあしらうかのように言った。
「聞くだけ無駄だったか。破壊部隊、これ以上貴様らの好きにはさせない!」
 やすいくんは改めて深呼吸をし、力強く言う。スイクンは後ろ足で地面を思い切り蹴って飛び跳ねる。剣を突き立てて飛び掛るやすいくんに、かばいかつひろはまるで動じない。腕を組んだまま息を大きく吸い込み、鼻の穴から一気に吹き出した。嵐の如き突風に吹き飛ばされ、やすいくんは後ろの壁に叩きつけられる。
「く……無事かスイクン」
 やすいくんは立ち上がりながらスイクンの手綱を掴み、スイクンもそれに呼応するように立ち上がる。
「あの鼻息でアパートも破壊したのか。厄介だな」
「カッヴァッヴァ、俺の攻撃は鼻息だけじゃないカヴァ」
 そう言ってかばいかつひろは、足元にある瓦礫を一つ掴み、やすいくんに向かって投げつけた。
「避けろ、スイクン!」
 飛来する瓦礫を、スイクンは素早い動きでかわす。クリスタルバリアはビームや電撃、炎といった類の攻撃に対しては有効だが、単純な物理攻撃に対しては脆い。この攻撃を防ぐには、かわすしかないのだ。
 かばいかつひろが次々と投げつける瓦礫に対し、やすいくんは一つ一つの動きを的確に予測し、スイクンに回避の指示を出す。そのコンビネーションは、もはや一心同体。
「カッヴァッヴァ、防戦一方だな水晶騎士よ。所詮貴様の獲物は剣、距離をとれば何も怖くないカヴァ」
「……フン」
 勝ち誇るかばいかつひろ。やすいくんは鼻で笑うと、急に方向転換。テニスのラケットを振るかのように力強く剣を振ると、かばいかつひろの腹にテニスボール大の水晶が突き刺さった。
「クリスタルショット」
 そう呟くと共に、更に一発、そして続けてもう一発。合計三つの水晶が、かばいかつひろの体を正確に射抜く。スイクンを走らせながら水晶弾を撃つその姿は、さながら流鏑馬のよう。かばいかつひろは、思わぬ攻撃に怯み膝をついた。
「こ……これはどういうことカヴァ……どこに飛び道具を隠し持っていた……」
「やはり水晶術を知らなかったようだな。水晶騎士との戦いをメテオ・ブラック一人に任せ、一般市民の虐殺にばかり感けていたのが仇となったな」
 やすいくんはその言葉に恨み辛みを重ね、きっぱりと言い放つ。かばいかつひろは悔しそうに歯を食いしばった。
「ぐうう……貴様俺を本気で怒らせたな」
 そう言うや否や、かばいかつひろは急に飛び出し、大口を開けてやすいくんに襲い掛かった。
「俺の本領は接近戦だ! 粉々に噛み砕いてやるカヴァ!」
 やすいくんはとっさに目の前に水晶柱を出現させるが、かばいかつひろの大顎はそれを容易く噛み砕く。その恐ろしいまでのパワーを目の当たりにし、やすいくんの顔が引き攣った。
(一撃でも喰らえば……やられる!)
 かばいかつひろの左腕が、やすいくんに掴みかかろうと伸びる。やすいくんは冷静に、下からその腕を切り払う。肘から先を失ったかばいかつひろは、更に激情する。
「カヴァアアアア!」
 怒号と共に、かばいかつひろの右手がやすいくんの左腕を掴んだ。
(しまった!)
 力強く引っ張られ、やすいくんはスイクンから引き剥がされる。腕を掴んだまま放り上げられ、真下でかばいかつひろが大きく口を開く。
「させるか!」
 やすいくんは口中の一点に狙いを定め、手持ちの剣を思いっきり投げつけた。剣は舌の中心に突き刺さり、下顎を貫通する。かばいかつひろは、激痛に雄叫びを上げやすいくんから手を離した。やすいくんは落ちる最中に剣の柄を掴み、落ちる勢いで舌と下顎を切り裂く。着地する寸前、スイクンが間に入りやすいくんを背に乗せた。
 刹那、かばいかつひろの横をスイクンが駆け抜ける。
「クリスタリアの人々の仇……クリスタルスラッシュ!」
「な……ガ、ガヴァア!?」
 水晶のように透き通った剣が、かばいかつひろの胴を丁度二つに裂くように一閃。傷口から無数の水晶が突き出し、全身を貫いた。かばいかつひろは、数秒経ってから何が起こったのかに気が付いた。
「ガヴァア……俺を倒したくらいでいい気になるな……俺は一番最初に到着したに過ぎない……今に残りの破壊部隊全員とメテオ・ブラック様もやってくる……そうなったらこの国は終わりだ……ガヴァ!」
 最後の力を振り絞り、かばいかつひろはそう言って息絶えた。それを聞いたやすいくんは、まるで金縛りにでも遭ったかのように体が動かなくなった。心臓がぎゅっと縮まったかのような感覚がした。
「メテオ・ブラックが……来る……」
 脳裏に浮かぶのは、ただその場にいるだけで凄まじい威圧感を放つメテオ・ブラックと、地獄と化したクリスタリアの城下町。思い出しただけで寒気が走り、気が狂いそうになるほどの光景。
 呆然と立ち尽くすやすいくんの袖を、スイクンが口で引っ張った。はっと気がついたやすいくんの耳に、微かな声が聞こえる。
「助けて……くれ……」
 やすいくんは驚いて振り返る。その声は、アパートの残骸の方から聞こえていた。間違いない、瓦礫の下に、誰かが埋もれている。
「あ……あああ……」
 やすいくんは立ち尽くしたまま呻く。クリスタリアの人々の悲鳴が、やすいくんの頭の中にしがみ付いた。目の前で無残に殺される人々。守れなかった人々。助けられなかった人々。助けを求められても、見殺しにした人々。弱い自分のせいで、死んだ人々。やすいくんは震えていた。あの日の光景が、瞼の裏でより鮮明に映し出された。
「助けなきゃ……俺が……助けなきゃ……」
 やすいくんはおぼつかない足取りでアパートの残骸に駆け寄り、一番大きな瓦礫に手をかけた。
 だが、いくら体を鍛えているとはいえ子供一人が、それも空腹と疲労が重なった状態で持ち上げられる大きさではない。やすいくんがどんなに腕に力を入れても、瓦礫はびくともしなかった。
「誰かっ! 手伝ってくれ! 人が埋まってるんだーっ!」
 やすいくんの中で、何かが吹っ切れた。やすいくんは柄にもなく叫んだ。もう誰も死なせたくない。その思いが、何よりもやすいくんを突き動かした。
「待ってろ、今助ける!」
 必死の叫びを聞いて、野次馬に来ていた男達が数人、救出に加わった。大人の力を借りて、やすいくんは瓦礫を退かす。埋まっていた人は全身酷い怪我をしていたが、まだ意識はあった。
 なんとか救助に成功し、やすいくんは一息吐く。突如、謎の眩暈がやすいくんを襲った。原因は空腹か。思えば今日は朝食のパンの耳以外何も食べていない。やすいくんは目を擦り、大きく見開いた。こんなところで、ゆっくりしてはいられない。
 どこからか、サイレンの音が聞こえてきた。やってきたのは、救急車とカモン王国軍の装甲車である。
「もう着いたのか。誰かが通報したのか?」
 野次馬の一人が、不思議そうに言う。
「ゾウラ族は、あちらの少年が退治してくれました。早く、こちらの方を病院に」
 救急車から降りてきた隊員に別の野次馬がそう言い、瓦礫に埋まっていた人は救急車に運ばれていく。装甲車からは、数人の兵士が出てきて迅速に瓦礫の撤去を始めた。
「瓦礫の撤去は、我々にお任せください。ゾウラ族を倒してくれた少年は……あれ、どこに行きました?」
 兵士と野次馬は辺りを見回すが、先程までここにいたやすいくんの姿が無い。
 やすいくんは、軍が来る前にひっそりとこの場を立ち去っていた。向かう先は、カモン城。
 もう誰も死なせない。クリスタリアの悲劇は、二度と起こさせない。この国は、自分が守ってみせる。その思いを胸に、やすいくんは風のように駆ける。たとえ自分自身が、壊れそうになったとしても。
 

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