第27話 破壊への序曲

 ゾウラ界の町外れにある酒場に、もも男は来ていた。カウンターの席に座り、店主から差し出されたいつもの桃酒を一気に飲み干す。
「はぁ……まさかわたわ町にあんな新戦力が現れるなんて……俺はいつになったら奴らに勝てるもも……」
 誰も聞いていないにも関わらず、もも男はついそんなことを愚痴る。
 酒場に来る怪人達の話題は、アートロンの後釜に誰が就くかということばかりであった。
 アートロンの戦死から、はや数ヶ月。未だ後釜は決まらず、空席が続いている。腕に自身のある怪人達は我こそが七幹部入りに相応しいと、手柄を求めて人間界侵略に躍起になっていた。無論、失敗ばかりしているもも男にとっては何の関係もない話である。
「マスター、桃酒もう一杯」
 もも男がそう言った時、カランと音が鳴り、酒場の扉が開いた。桃酒の瓶を取る店主の手がピクリと震え、瓶が床に落ちて割れた。だらけて呑んでいた怪人達が、皆揃って背筋を伸ばす。その場にいた誰もが、顔を見なくてもわかるほどの威圧感。
 入店してきたのは、頭に二本の黒い角を生やした大男。角の先が天井に掠るほどの巨体は見るからに恐ろしげだが、皆が慄いたのはそれにではなかった。
 ゾウラ界で、その男の名を知らぬ者はいない。凶悪にして凶暴、極悪にして非道。キングゾウラに次ぐ地位を持つゾウラ四天王の一角、メテオ・ブラックである。その力はあまりにも強いため、ただその場にいるだけで周りの者を威圧するのだ。
「こ、これはこれはメテオ・ブラック様。こんなチンケな酒場に一体何用で……」
 店主は恐る恐る尋ねる。
「この酒場にもも男とかいう奴が来てると聞いてな」
 メテオはそう言って、もも男の隣の席に腰を下ろす。怪人達は、いよいよ処刑かとざわつき始める。もも男の全身から、バケツをひっくり返したような汗が吹き出した。
「ご、ご注文は……」
「一番高い酒を出せ。この俺に相応しいのをな」
 メテオの手には、青い水晶が握られていた。それを嘗め回すように見つめながら、メテオは言う。店主は逃げるように倉へと走り去った。
「よう、おめえがもも男だな」
 メテオはもも男の方を向き、ニヤリと笑う。もも男は、緊張で声が出なかった。
「別に処刑しようってわけじゃねえんだ。そんなに緊張することはねえ。今日は、おめえに頼み事があって来たのさ」
 もも男は、震えながら目を逸らしつつ顔だけメテオの方に向ける。
 倉から戻ってきた店主が、立派なグラスに高い酒を注ぎメテオに差し出した。メテオは乱暴にグラスを受け取り、口につける。
「……所詮は下っ端どもの戯れる店か。まあいい、無いよりはマシだ。この酒を全部持ってこい」
 店主は、またしても慌てて倉に走り出す。
「それでもも男、頼み事なんだが。お前の担当地区を、俺の部隊に譲っちゃくれないか。どっちにしろお前のようなザコにあの町を落とすのは不可能なんだ。悪い提案じゃねえだろ?」
 メテオは真っ赤な目を光らせ、もも男の顔を覗き込む。もも男は声が出ず、頷きだけで返事をした。
「クク、ありがてえ」
 メテオは店主の持ってきた酒を次々と飲み干し全部の瓶を空にすると、勘定もせずに店を出た。無論、それに文句をつける者は店主含めて一人もいない。
 もも男の足元には、酒をこぼしたわけでもないのに水溜りができていた。

 休日の朝。朝食を終えたわたあめは、切らしていた玉子を買いにロイヤルセンターに向かっていた。
 わたろうが家を去ってから、毎日の炊事はわたあめが担当である。わたぴよはまだ幼く、オヤジは元々料理がダメであるため必然的にこうなってしまった。何でも卒なくこなすわたろうと比べわたあめの料理の腕は大きく劣るものだったが、それでも本に書かれたレシピを見ながら頑張って作っているのである。
 ロイヤルセンターに向かう道は、途中までわたわ小学校への通学路と同じである。わたあめはふと、やすいくんと初めて会った道で立ち止まった。その目に浮かぶ、やすいくんの後姿。何故やすいくんが、皆に辛く当たるのか。それは、やすいくんが想像を絶するほどの辛い目に遭ってきたからだ。先日のカモン城の一件で、わたあめはそのことに気が付いた。なんとかして、やすいくんの心を解かすことはできないだろうか。

 立ち止まり考え込んでいたわたあめの目を覚ますかのように、東の方角から大きな物音がした。直後、その場所から砂煙が空に立ち上がる。
「まさか……ゾウラ族!?」
 わたあめは買い物籠を投げ捨て、砂煙の方へと駆け出した。
 現場は、小さな子供達がよく遊んでいる公園であった。わたあめは子供達を公園から逃がした後で怪人と対峙する。怪人は、真ん中辺りですっぱり切られ倒された滑り台の上に立っていた。タコ足のように全身をくねらせて、へろへろとした奇妙な動きをしている。


 わたあめが驚いたのは、見るからに弱そうな怪人の姿である。誰がどう見ても、滑り台を真っ二つにするような攻撃力があるとはとても思えないのだ。更に、普段なら助っ人の怪人と共に出てきて笑っているもも男の姿も見当たらない。
「へ〜ろへろへろへろ、俺の名はハミハミヘロ。ゾウラ四天王メテオ・ブラック様に仕える『破壊部隊』の一人だへろ〜ん。この町は俺が全て破壊してやるへろ〜ん」
「メテオ・ブラックだって!?」
 ゾウラ四天王メテオ・ブラック。わたあめは確かにその名を聞いた。やすいくんの故郷クリスタリアを滅ぼした、ゾウラ族の最高幹部である。
「お前、わたの一族へろな。わたの一族の首を取って帰れば、俺の七幹部入りは決まったようなものだへろ」
 ハミハミヘロは滑り台から飛び降り、わたあめの前に着地する。直後、へろへろとした動きをまた始める。
「お前みたいな奴は、僕が一撃でやっつけてやる! わたたきパンチ!」
 わたあめは勢いよく踏み込むと、ハミハミヘロの顔面目掛けてわたたきパンチを放つ。ハミハミヘロの棒のような目がキラリと光る。わたあめの拳は、ハミハミヘロをすり抜けたかの如く空を切った。不規則に見えるヘロヘロとした動きが、わたあめの拳を的確にかわしたのだ。ハミハミヘロはそのままヘロヘロしながら後ろに回り込む。
「死ね……しゃっきーん!」
 ヘロヘロと揺れていたハミハミヘロの四肢が、突然ピンと張った。わたあめが驚いたのも束の間、ハミハミヘロは剣を抜き、疾風の如く切りつける。


「うわああーっ!」
 背中を切られ、わたあめは前のめりに倒れた。傷は浅いが、不意を突かれたことによる動揺は大きい。
(急に動きが素早く……どうなってるんだ!?)
 わたあめは追撃を受けないうちに立ち上がり、身構える。ハミハミヘロは、またヘロヘロとした動きに戻る。わたあめは負けじと何度もわたたきパンチを繰り出すも、全てかわされる。
「しゃっ……きーん!」
 わたあめの隙を突き、ハミハミヘロは再び剣を抜く。一瞬の居合い抜きで、わたあめの右脇腹から肩にかけて切り上げる。鮮血が飛び散り、わたあめは傷みに顔を顰める。 ハミハミヘロがへろへろに戻ったところで、わたあめは距離をとって暫く様子を見る。その後ここは慎重に飛び道具でと、振りかぶってわたを投げた。
「喰らえ、わた投げ!」
 剛速球の如く飛んでくるわたを、ハミハミヘロは容易く避ける。次の瞬間ハミハミヘロは再び体をピンと張って飛び出し、強烈な瞬発力で間合いを詰めた。わたあめは素早くわた再生をし、ふんわりガードで剣を受ける。だが、鋭い一撃はわたをも切り裂く。わたあめは後ろに飛び、剣に直接当たることだけは避けた。ハミハミヘロはまたヘロヘロとした動きに戻る。
(こいつ……強い!)
 わたあめは最初その実力を疑っていたハミハミヘロに対し、本当に強いということを認識した。不規則に見える動きであらゆる攻撃をかわすへろへろモードと、素早く直線的な動きで剣術を繰り出すしゃっきーんモード。この使い分けが、ハミハミヘロの強さの秘密なのだ。
 わたあめが既に何度か攻撃を受けているのに対し、ハミハミヘロは未だ無傷。このまま無策に戦いを続けても、いずれ負けるのは自分の方であると、わたあめは理解していた。何とかして、攻撃を当てる手段を見つけなければならない。
(しゃっきーんモードの時に攻撃を当てることができれば……)
 わたあめは、何か無いかと辺りを見回した。
(あれは……)
 わたあめが見つけたのは、ハミハミヘロがしゃっきーんモードで踏み込んだ時の足跡。この時、一つの策がわたあめの脳裏に浮かんだ。
「どうしたへろ〜ん、そっちが来ないなら、こっちから行かせてもらうへろ〜ん」
 ヘロヘロとした動きで、ハミハミヘロはわたあめの後ろに回り込もうとする。
「させるか!」
 わたあめは振り返り様に、わたたきパンチを打つ。だが、当然当たらない。
「はあーっ! わたたきパンチ! わたたキック! わたたき落としーっ!」
 怒涛の連続攻撃も、掠りすらしない。それでもわたあめは、休まずに攻撃を続ける。ハミハミヘロは隙あらば回り込もうと、ヘロヘロと不規則に動き回る。
「へ〜ろへろへろへろ、お前、へろへろモードの俺は攻撃力皆無だから、ずっと攻撃を続けていれば自分が攻撃を受けることがないと思ってるへろな。確かにその通りだが……俺のヘロヘロとした動きは殆ど体力を消耗しないんだへろ。つまり先に疲れて動けなくなるのはお前の方。そうなったらしゃっきーんモードで首を切り落としてやるへろ」
 ハミハミヘロがそう言うが、わたあめは動じない。だが暫くこの攻防を続けているうち、遂にわたあめの攻撃の手が遅くなり始めた。
「そろそろ遊びは終わりにしてやるへろ。しゃっきーん!」
 ハミハミヘロはしゃっきーんモードになり、得意の瞬発力で一気に切りかかろうとする。だが、踏み込んだ瞬間急にバランスを崩した。次の瞬間、わたあめは切られることを一切恐れず、わたを掴んだ拳でハミハミヘロの顔面に思いっきり突っ込んだ。
「べろ〜っ!?」
 バランスを崩したためにへろへろモードへの切り替えができず、わたたきパンチの直撃を受けたハミハミヘロは大きく吹っ飛んでベンチに体を打ちつけた。
「ば、馬鹿な! この俺が攻撃を受けたへろ〜っ!?」
 ハミハミヘロは動揺し、目をひくひくと動かしていた。公園の砂場には、ハミハミヘロが踏み込んだ深い足跡がしっかりと残されていた。
「そ、そうか! 俺は奴の策にまんまとはめられたんだへろ〜っ!」
 わたあめは、やみくもに攻撃をしているように見せかけてハミハミヘロを砂場に誘導していた。しゃっきーんモードの超スピードを出すためには、大きく踏み込む必要がある。だが砂場でそれをやれば、砂に足をとられバランスを崩すことになるのだ。
「うぐぐ、油断していたへろ……」
 ハミハミヘロは腕で鼻血を拭い、立ち上がる。
「だが同じ策は二度も通じないんだへろ。もうお前は、俺に攻撃を当てることはできない!」
 ハミハミヘロは砂場を避けて駆け出す。剣先がわたあめの肌を掠める。わたあめは負けじとわたたきパンチを出すが、へろへろモードで避けられる。
「死ねへろ! しゃっきーん!」
 動きは遅いがまるで読めないへろへろモードに対し、しゃっきーんモードの動きは速いが単調である。わたあめにとって、それを避けるのは難しいことではない。相手の攻撃をかわしつつ、わたあめは次の策を考える。だが、安定して決定打を与えられるような策は出てこない。
(こうなったら……あれをやるしかないのか!)
 わたあめは大きく膨らませたわたを地面に叩きつけ、空中に逃げる。
「練習中の大技……ここで完成させてみせる!」
 ハミハミヘロは空を見上げる。わたあめは四肢を大きく振り、空中に浮かんだまま体を回転させる。回転数は次々と上がっていき、わたあめを中心にして竜巻が生まれる。
「はああーっ! わたハリケーンカッター!」
 竜巻からは、無数の空気の刃が打ち出される。わたあめの放った技は、兄であるわたろうの使っていた神技の一つ。わたろうがわたわ町を去った日から、ずっと練習していた技なのだ。
「そんな攻撃、俺には通用しないへろ!」
 自信満々に言うハミハミヘロ。だが次の瞬間、ヘロヘロとした動きをものともせず、空気の刃がハミハミヘロの体に傷を付けた。
「ば、馬鹿な! この俺が避けられないなんてーっ!」
 驚いている間にも、空気の刃は次々と体を切り裂いていく。高速で飛来する見えない刃は、へろへろモードですら回避不能なのだ。
 わたあめは歯を食いしばり、必死で体を回し続ける。わたハリケーンカッターを実戦で使うのはこれが初めて。わたあめのわたハリケーンカッターはわたろうのそれに比べて回転が遅く、切れ味も鈍い。これがわたろうだったら既にハミハミヘロは爆死していたところだが、未だに耐え続けている。
 回転速度は、少しずつ落ちていく。空中で回るわたあめの体勢も、止まりかけのコマのようにふらついていた。
(く……このままじゃ……)
 何とかして回転速度を上げようとするが、体が思うように動かない。ハミハミヘロの攻撃を何度か受けていることに加え、砂場に誘導するための連続攻撃でかなり疲れが溜まっているのだ。
 遂にわたあめは静止し、背中から地に落ちた。ずっと耐えていたハミハミヘロは、血まみれの身体を持ち上げ剣を抜く。
「ハア……ハア……まさかこの俺がここまで追い詰められるとは……。だがガキ一人殺せないままゾウラ界に帰れば破壊部隊の名折れ。貴様の首だけは何としても持ち帰るへろ……」
 わたあめはなんとか立ち上がる。わたハリケーンカッターでとどめを刺すことはできなかったが、相手は満身創痍。あと一発でも攻撃を当てれば勝てる。だがこちらも大きく体力を消耗しており、一瞬でも隙を見せれば逆にこちらが殺されかねない。少しずつ歩み寄るハミハミヘロを、わたあめはわたを構えてじっと待つ。
 と、その時だった。
「見つけたぞゾウラ族ー!」
 公園の入り口から聞こえたのは、カラリオの声である。更にその後ろから、キツネ男が走ってくる。
「わたあめ、無事かコン!」
 二人はわたあめに駆け寄り、ハミハミヘロの方を向いて身構えた。
「ゾウラ族が出たって聞いてな、駆けつけてきたんだ。お前が苦戦するってことは、かなり強い怪人なんじゃないのか?」
「ありがとうカラリオ、キツネ男。確かにこいつは強敵だけど、君達が来てくれたなら何の問題もないよ」
 仲間の到着で、わたあめは急に元気が湧き上がってきた。疲れも吹っ飛び、今ならもう一回わたハリケーンカッターを使えるんじゃないかとさえ思えた。一方で焦ったのはハミハミヘロである。ただでさえ分が悪いこの状況、三人を同時に相手にするは無理にも程があるというもの。
「く……ここで増援が来るとは……不味いことになったへろ……」
 ハミハミヘロは、すり足で後退する。
「ここは引かせてもらうへろ……だが覚えておけ……破壊部隊は……ゾウラ界最強だへろ!」
 そう言うと、しゃっきーんモードの瞬発力で一気に逃げ去った。
「待ちやがれ!」
 カラリオが叫ぶ。
「ちっ、逃げられたかコン。でも、あの傷じゃこれから町で暴れるとかはできそうにないし、これでひとまずは安心かコン」
「そうだね……うっ、いててて」
 わたあめは安心した途端、急に傷が痛み出した。
「肩を貸すぜ。早くドッパー先生のところに行こう」
「うん、ありがとう……」
 わたあめはカラリオとキツネ男に支えられながら歩き出す。途中、ハミハミヘロの向かった方向を振り返った。
 四天王メテオ・ブラック、そして破壊部隊。何やら猛烈に嫌な予感が、わたあめの脳裏を駆け巡った。
 

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