第7話 わたの戦士達

 メガネ男は、全身に包帯を巻かれ医務室のベッドに寝かされていた。
 意識はまだ戻っていないが、ドッパーの治療の甲斐あって命に別状はなく、数日入院すれば回復するとのことだった。
 だが、それでもミイラ男のような姿はあまりにも痛々しく、思わず目を覆いたくなるほどだった。
 クルミは座り込み、声を上げて泣いていた。わたあめは真剣な眼差しでメガネ男を見つめ、怒りに拳をぎゅっと握り締めた。カラリオは自分の場違い感にどうしていいのかわからず、引き攣った顔で立っていた。
「メガネくん!」
 わたぴよが、額に汗を垂らしながら医務室に駆け込んできた。そしてベッドに横たわるメガネ男の姿を見て、絶句した。
「ちょっと、次はわたぴよの試合なんじゃ……」
「わかってるよ、兄ちゃん。でもボクは、一度試合の前にメガネくんに会っておきたかったんだ」
 わたぴよはわたあめを退け、メガネ男の眠るベッドの前に立った。
「メガネくん……ボクは、君の分まで勝つよ」
 そしてそっと手を握り、そう告げた。
 備え付けられたスピーカーから、わたぴよを呼ぶアナウンスが鳴った。
「兄ちゃん、本当はボクがキツネ男と戦いたい……でも、その役目は兄ちゃんに譲る。準決勝で戦おうね」
 そう言って病室を出るわたぴよの背中に、わたあめはとても強い意志を感じた。親友をあんな姿にされたのだ、仇を討ちたいという思いは誰よりも強いに違いない。だがトーナメントの組み合わせ上それはできず、今の相手に怒りをぶつけるしかないのだ。
「メガネにはわたしが付いてるから、わたくんはわたぴよくんの試合を見てあげて」
 クルミが、メガネ男の手を握りながら言った。
「うん、わかったよ」
「あっ、待って、俺も行く!」
 観客席に向かうわたあめを、カラリオが慌てて追いかけた。

 変わってコロシアム中央のバトルフィールド。
 青コーナーには対戦相手のキンパツ先生が、眩しいほどの金髪を輝かせながら腕を組み待っていた。
(フフフ……このまま相手が来なければ私の不戦勝となり、百万円に一歩近づくぞ)
 等ということを考えながら、わたぴよの到着ではなく不戦勝の決まる試合開始時間を待っていたのである。
「さーあ、試合開始まであと三十秒を切りました! 果たしてわたぴよは来るのかー!」
 カモンキングが叫ぶ。直後、息を飲んで声を止める。コロシアムに響く、小さな足音。
「来たーっ! わたぴよ間に合ったー!」
 カモンキングが歓喜の声を上げる。わたぴよは走った勢いでバトルフィールドに飛び乗った。キンパツ先生はチッと舌打ちした。
「やる気は十分だ! さあ、試合開始!」
 ゴングが鳴る。キンパツ先生は懐からチョークを取り出した。
「一年生だからといって容赦はしない!」
 人差し指と中指の間に挟んだチョークを、わたぴよ目掛けて真っ直ぐに投げつける。わたぴよは、わたを前面に出しふんわりガードでそれを防ぐ。
「ほう、この私のチョーク投げを弾き返すとは。ならばこれでどうだ、ドリルチョーク!」
 キンパツ先生は親指、中指、人差し指の三本でチョークにドリルのような回転を加えて投げた。
 わたぴよは先程のようにふんわりガードを繰り出すが、チョークがわたを貫通しわたぴよの腹に突き刺さった。
「うわああああっ!}
 わたぴよは思わず悲鳴を上げる。チョークの刺さった場所はドリル回転により皮膚が捩れていた。
「酷えぞー! 大人が小一相手にー!」
「そうだそうだー!」
 観客席から野次が飛ぶ。
「う、うるさい! 私は百万円が欲しいんだ!」
 大人気ないキンパツ先生の言葉に、観客達はドン引きした。
 開始から少し遅れて、わたあめとカラリオが観客席に着いた。カラリオがたこ焼きを食べたいと言い出したのでそれを買いに行ったためだ。
「どうも劣勢みたいだぜ。まあ相手が先生だしな」
 カラリオは熱々のたこ焼きを頬張りながら言った。わたあめはそんなカラリオには目もくれず、試合をじっと見つめていた。
「わたぴよ……僕は勝つって信じてる……」

 キンパツ先生が観客に構っているうちに、わたぴよは刺さったチョークを抜き取る。
「先生がドリルなら、ボクだって……」
 鳥が囀るような甲高い声を聞き、キンパツ先生は我に帰った。次の一手に警戒し、チョークを構える。
 わたぴよは四肢を大の字に広げ、前かがみになり嘴をキンパツ先生に向けた。
「必殺・殺し屋ドリルくっちーばっしー!」
 次の瞬間、わたぴよが飛び上がったかと思うとドリルのように回転しキンパツ先生に突っ込んだ。
 が、キンパツ先生は腰を落とし、しゃがんでかわす。
「そんな技が当たるかっ!」
 余裕たっぷりに笑うキンパツ先生。しかしその時、誰もが予想だにしないことが起こった。
 回る嘴がキンパツ先生のの髪に触れるや否や、その髪を巻き込み始めた。そして全ての髪を絡み取り、その下から黄金の髪に負けず劣らずの輝きが姿を現す。


 会場がざわめく。わたぴよは、場外ギリギリのところに着地した。キンパツ先生は、何が起こったのか理解できずにいた。
 コロシアム中央。燦々と輝く日の光を跳ね返し、髪一本無い頭が煌いていた。
「キンパツ先生って……ヅラだったんだ……」
 一人の観客の言葉を聞き、キンパツ先生は頭に触れた。
「な、な、なっ……!」
 頭をキュッキュと撫で回すキンパツ先生。先程まで勝ち誇っていた顔からは生気が失せ、病人のように青ざめていった。
「私のヅラがーっ!」
 耳がキーンとなる程の絶叫を響かせ、キンパツ先生は失神した。わたぴよは、嘴に絡み付いたかつらを必死に取り外そうとしていた。
「しょ、勝者わたぴよー!」
 カモンキングが叫ぶ。やっとかつらから開放されたわたぴよは、カモンキングの方を向きぽかんと口を開けていた。気合十分に挑んだ試合の、あまりにも拍子抜けな決着であった。

 試合を終え、わたぴよとわたあめ、カラリオは医務室に戻ってきた。
「勝ったよ、メガネくん!」
「おめでとう、わたぴよくん。メガネもきっと喜んでるわ」
 わたぴよの元気な姿を見て、クルミの表情がぱっと明るくなった。メガネ男は相変わらず目を閉ざしたままだったが、心なしか安らいだように見えた。
「にしても驚いたぜ。圧倒的不利な組み合わせだったのに、まさか勝っちまうなんてな」
「わたぴよの思いが通じたんだよ、きっと」
 二人に褒めちぎられ、わたぴよは照れくさそうに頭を掻いていた。
「よーし、わたあめもわたぴよも年上相手に勝ったんだし、ここは俺もがっつり勝たせてもらうぜ!」
「あっ、でもカラリオさんの対戦相手ってわたろう兄ちゃんだよね」
 気合を入れて燃え上がるカラリオに、わたぴよが言った。
「おう、わたあめの兄貴だろ。どんな奴だかは知らねーが、この俺の敵じゃないぜ!」
 わたあめとわたぴよは、思わず顔を見合わせた。
「おいおいどうしたんだよお前ら。まさかこの俺が負けるとでも?」
「いや、でも……」
 と、わたあめが何か言おうとしたところで、それを遮るようにカラリオを呼ぶアナウンスが鳴った。
「お、第四試合もう終わったのか」
 第一試合と第三試合も相当なスピード決着であったが、この第四試合はそれすらも凌ぐ一瞬の決着であった。
 ゴングが鳴ると同時に二人がぶつかり合い、次の瞬間には友人Bがごつごつあめの足元に倒れていた。
 恐るべきごつごつあめの強さに、会場はただ唖然となるのみだった。

「もう少しお前らと話していたかったが、仕方ねえな。それじゃあ行ってくるぜ」
 カラリオは自信満々、意気揚々と医務室を出ていった。
「うん、がんばってねカラリオ……」
 わたあめとわたぴよは、そんなカラリオの背中を哀れむような目で見ていた。
「それじゃあ、僕達も観客席に行こうか。クルミちゃんはどうする?」
「わたしは……もうしばらくメガネと一緒にいるわ」
「わかった。行こうわたぴよ」

 バトルフィールド。わたろうは既に入場し、堂々と構えていた。わたろうはわたあめの兄で、小学六年生だ。


 ふと、わたろうは観客席の方に目をやった。
 観客席上空を飛ぶ、一つの影。二枚の翼を広げるその姿、大きな鳥でも迷い込んだのか。
 否、それはカラリオである。カラリオは観客に手を振りながらコロシアムを一周。バッサバッサとマントを羽ばたかせ、バトルフィールドに降り立った。
 思わぬパフォーマンスに観客からはカラリオコールが巻き起こる。
「随分と派手な登場だな」
「ああ、チャンピオンになる男ならこのくらいしないとな」
「フッ……いい自信だな」
 わたろうは不敵に笑う。
「さあて、盛り上がってきたところで……試合開始!」
 カモンキングが勢いよくゴングを鳴らす。カラリオは先手必勝と言わんばかりに飛び上がった。
「行くぜ! カラブリキック!」
 左脚を大きく振りかぶり、空中からの、風を切るような素早い蹴り。だが、わたろうのふんわりガードによって防がれる。カラリオはすかさず右脚を天高く上げ踵落し。しかしこれも防がれる。
「こんにゃろ!」
 二枚のマントを羽ばたかせて空中に静止しながら、両脚をバタつかせての連続蹴り。だがそれも、すべてわたの弾力に吸収されわたろうには傷一つ付けられない。
「そろそろ反撃していいか?」
 わたろうの手にするわたが、右手に収縮していく。カラリオは、すかさずマントを前方に大きく動かし、後ろに飛び退く。
 握られたわたの先端が、カラリオの鼻先を掠めた。
「くっ、なかなかやるな!」
 カラリオはマントで空気を床に叩きつけ、大きく飛び上がった。そして空中で前転し、両足を揃えてわたろう目掛けて落下する。
「こいつは防げまい! カラースタンプだ!」
 わたろうは膨らませたわたを頭上に掲げる。カラリオの両足が、わたを大きくへこませた。
(貫いた!)
 と、カラリオは思った。だがしかし、その両足はわたろうの掌には届いていなかった。ボフンと綿埃を撒き散らし、へこんだわたが元の形に戻る。カラリオはトランポリンを踏んだかの如く空に跳ね返った。
「うおわあああ!?」
 情けない悲鳴を上げ、空中でぐるぐると不規則に回転するカラリオ。そしてここで、漸くカラリオは理解した。この男が決して余裕を持って勝てる相手ではないということを。
「お前の攻撃は素早いが軽すぎる。おまけに単調で読みやすい。その程度の技で空を飛べることを活かしたつもりになってるようだが、俺からすればお前にその飛行能力は宝の持ち腐れだぜ」
「な、なにを〜!」
 余裕たっぷりでほくそ笑むわたろうに、カラリオは苛立ちを隠せずにいた。当初は自分がああやって毒舌を聞かせながら勝つつもりでいたのに、それを逆にやられてしまっては立場がないのだ。
「てめーは俺のどんな攻撃も防ぐ気でいるようだが、俺にはまだ奥の手があるんだ。防御も回避も不可能な、とっておきの奥の手がな!」
 カラリオは懐からマイクを取り出す。
「ま、まさかあれをやる気じゃ……!」
 観客席のわたあめは、思わず立ち上がった。
「行くぜ! カラリオリサイタル!」
「みんな! 耳を塞ぐんだー!」
 カラリオは大きく息を吸う。わたあめが注意を促すが、その声は一瞬にして掻き消された。
 地震が起こったかと錯覚に陥る程の、凄まじい歌声。一声目を聞いただけで気を失い倒れる観客さえいた。
 流石のわたろうも、両耳を塞ぎ地に膝を突いた。
「どうだ〜? 音楽の授業や校歌斉唱ですら歌うことを禁止されている俺の歌は」
 一曲歌い終えご満悦のカラリオは、再び余裕を取り戻しわたろうを見下ろした。
「さあ、それじゃあもう一曲聴かせてやるか」
 カラリオはとどめを刺そうと、大きく息を吸い込む。が、その時観客席から紙コップが投げ込まれ、カラリオの頭に命中した。
「うるっせえ! 誰がてめーの歌なんか聴くか!」
 一人の観客がそう言うや否や、観客達から続けざまにゴミと罵声がカラリオに投げ込まれていく。
「帰れー!」「死ねー!」「二度と歌うんじゃねー!」
「えっ、ちょっ、何で!? お前らさっきは俺のこと応援してたじゃんか!」
 一度は観客の心を掴んだかに思われたカラリオだが、怒涛のブーイングに尻込みしあたふたしていた。
「み、みんな待ってよ! カラリオだって別に悪気があってやったんじゃ……」
 わたあめが必死でなだめるも、誰も耳を貸そうとはしない。
「くっそーこうなりゃヤケだ! どんだけ嫌われようとももう一度歌ってやるー!」
 カラリオは腹が膨れ上がるほど息を吸い込み大声を出そうとする。だが、その時何かが腹を突いた。カラリオは一声も出せぬまま、吸い込んだ空気が一気に口から抜け出てしまった。右手に握られたマイクは床に落ち、ガシャンと音を立てて壊れた。歌を妨害したのは、わたろうの投げたわたであった。
「お前はわたあめのわた投げに負けたそうだが、それから何も対策をしてなかったのか?」
「ぐ……」
 カラリオはあれから特訓を重ね飛び道具対策は万全にしていたつもりだった。だが、冷静な判断力を失っていた今の彼にそれを実行することはできなかったのである。
 マイクさえも失いもはや絶体絶命となったカラリオは、ハァハァと息を荒げながら目を右往左往とさせていた。
 ふと、カラリオはあることに気付いた。わたろうの投げたわたが、まだ自分の腹に付着しているのだ。
「ハッ……そ、そうだ、わたあめのわた投げとお前のわた投げには一つだけ大きな違いがある! わたあめのわたは爆発したが、お前のわたは腹にくっついただけだ! そんな攻撃力のないわた投げでは俺は倒せないぜ! それにお前のわたは今俺が持っているも同然、言わばお前は武器を失った状態だ!」
 わたろうを指差し、唾を撒き散らしながら苦し紛れに叫ぶカラリオ。
「それを、もしわざと爆発させずにおいたとしたら?」
「なにィ!?」
 カラリオの脳裏に電撃が走った。
「そ、そんな馬鹿な、ハッタリだ!」
 そう言った瞬間、わたろうの姿が消えた。刹那、カラリオは腹に強烈な一撃を受ける。カラリオの腹に付着したわた目掛けて、強烈なジャンピングアッパーが繰り出された。
「神技・わた124.7連打!」
 一発目の拳を受けたことに気付いた時には、既に二発目が放たれていた。嵐のような猛烈なラッシュだ。わたろうがジャンプしてから地に足を着く間の一瞬に、124発もの衝撃がわたを通してカラリオの身体に伝わった。そして最後の一発が腹を貫こうとする直前、七割進んだところで拳はピタリと止まった。
「観客に迷惑をかけるのはよくないぜ」
 わたろうが着地すると同時に、124発分のエネルギーを溜め込んだわたが大爆発を起こした。カラリオは空高く吹き飛び、錐揉み回転をしながら逆さまに落下。床に頭を打ちつけ白目を向いて気絶した。
「しょ、しょ、しょ、勝者、わたろーう!」
 カモンキングが高らかに叫ぶ。これまでにない程の歓声が、怒涛のように押しかける。
「凄い! 凄いぞわたろう! 何だ今の必殺技はー!」
「パンチによってわたにエネルギーを溜め、それを一気に爆発させる。神技の名の通りの凄まじい技ですね。わたの持つ未知の力は本当、計り知れませんね」
 カモンクイーンの解説の中、カラリオが担架で運ばれていく。
 わたろうの華麗な戦いぶりに感動した観客達から、わたろうコールが巻き起こった。だが当のわたろうは、何も言わずフィールドを降りその場を去っていった。
 わたあめは、わたろうの持つ圧倒的な強さとカリスマにただただ尊敬の目を輝かせていた。
「やっぱり……兄さんは凄い!」

 

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