第1話 わたあめVSカモンベイビー

 わたわ町のわたわ小学校、三年一組に転校生がやってきた。
「こんにちは! 僕の名前はわたあめです。よろしくお願いします」
 名前の書かれた黒板の前に立ち、少年わたあめは緊張しながら言った。
「よーしわたあめ、お前の席はクルミの隣な」
 担任の教師であるキンパツ先生が、一番後ろの窓際にある空いている席をチョークで指した。隣の席にいる大きなリボンの女子がクルミというようだ。
 わたあめはクラスメート達の視線を感じながら、その席に歩いて向かった。席に着くと、クルミがわたあめに話しかけてきた。
「わたしクルミ。よろしくね、わたあめ君」


 わたあめは緊張が解けないまま、「ああ、うん」とだけ答えた。
 その時、左側クルミを挟んだ位置にある席から、他より強い視線をわたあめは感じた。何か強い怒りや妬み、恨みといった感情の混じったどす黒い視線。
 が、わたあめは気のせいだろう、緊張のし過ぎでそう思っただけだろうと自分で納得していた。
「よーし、それじゃあ授業を始めるぞー」
 キンパツ先生がそう言い、一時間目の算数の授業が始まった。
 わたわ小は前に通っていた学校より授業の進みが早く、わたあめはクルミから解らない所を教えてもらいながら授業を受けていた。
 だが、そうしている間ずっとどす黒い視線に睨まれていたのである。
 わたあめは授業に集中するため、ひたすら気のせいだと思い続けた。

 休み時間。わたあめの机は早速クラスメート達に囲まれていた。
「俺は友人Aっていうんだ。よろしくな!」
「俺は友人Bだ。」
「俺は友人C。」
 一番積極的に話しかけてきたのは、それぞれ名前と同じアルファベットの描かれた色違いの帽子を被った三人組だった。赤い帽子の友人A、青い帽子の友人B、黄色い帽子の友人C。見た目は似ているが、赤の他人らしい。そして三人は深い友情で結ばれているとのことだ。


「なあなあ、お前何でこっちに引っ越してきたんだ?」
「えーっと、理由はよく知らないけど、ここは父さんの故郷らしいんだ」
「兄弟とかいるの?」
「うん、兄さんと弟がいるよ。兄さんは六年で弟は一年」
「手に持ってるそれ、何だ?」
 友人Cが指差すのは、わたあめが教室に入ってきた時からずっと持っている、ふわふわとした水色の奇妙な物体。
「これは“わた”だよ」
「いや、わたって……あの綿か?」
「さあ?」
 わたあめは首を傾げた。
「実は僕もよくわからないんだ。なんでも生まれたときから持ってたらしいけど……まあ、いろいろできて便利な道具だよ」
 そうして話していると、ふとまた視線を感じた。先程と同じ場所からである。
 その席の主が立ち上がると、わたあめを囲んでいるクラスメート達が逃げるように道を開けた。
 煌びやかな服に、真っ赤なマント。自信満々な顔で胸を張り、その少年はわたあめの方に歩き出した。


 ドン! と机を叩き、少年はわたあめに顔を近づけた。
「よう転校生。俺様はカモンベイビーっていうんだ。そこの席のクルミちゃんは俺様の婚約者だからな。変な気を起こすんじゃないぞ。それと俺様の言うことを聞かなかったら酷い目に遭わすからな。覚えておけ」
 カモンベイビーは鋭い眼光で睨みつけ、嫌味ったらしく言い放った。そしてぽかんとしているわたあめを尻目に、自分の席に戻った。
「カモンベイビーって、面白い人だね」
 そう言うわたあめに、クラスメート達は顔面蒼白となった。
「おい待て、カモンベイビーって奴はな」
 友人Aが慌てて耳打ちしようとした時、始業のチャイムが鳴った。
「授業を始めるぞー、席に着けー」
 廊下で待機していたのか、それと同時にキンパツ先生が教室に入る。
 わたあめを囲んでいたクラスメート達は、一斉に自分の席に戻った。
 またわたあめはクルミに教えてもらいながら授業を受けていたが、カモンベイビーはずっとノートもとらずわたあめを睨みつけていた。
 その日の授業は、ずっとそんな調子であった。

 そして昼休み。わたあめは友人トリオに校内を案内してもらっていた。一通り校内の主要な部屋を見て回り、午後の授業に間に合うように教室に戻ってきた。
 教室のドアを開けると、クルミの席で何やらカモンベイビーとクルミが話をしていた。
「クルミちゃん、いい加減認めたらどうだ? 俺様の婚約者だということを。この俺様の妻になれるのは物凄く名誉なことなんだぞ」
 カモンベイビーはクルミの机に手を置き、いやらしい表情で顔をクルミの顔に近づけた。
「嫌……です。あなたの婚約者にはなりたくありません」
 クルミは怯えながらそう言った。
「まったく、君は自分の立場がわかってないな。君に断る権利はないんだよ。さあ、いい加減認めて俺様とちゅっちゅしようぜ。カモン! ほらカモン!」
 カモンベイビーはそう言って唇を伸ばす。
「嫌っ……」
 クルミは慌てて顔を遠ざけた。
 周りのクラスメート達は、見てみぬふりをしている。
「やめなよ!」
 わたあめが叫んだ。クラスの視線が、一斉にわたあめに集まった。
 時が止まったかのように、教室が静まり返った。
「クルミちゃん嫌がってるじゃないか。やめてあげなよ」
 沈黙を破り、わたあめはカモンベイビーに向けて強く言った。
 カモンベイビーの額に、青筋が浮かんだ。
 教室の隅から、ひそひそと小声が聞こえた。一人の女子が急に泣き出し、教室を飛び出した。一瞬にして、教室は騒然となった。
 あたふたと取り乱す者、友達と顔を見合わせる者。わたあめのとった行動に、クラスメート達は誰もが驚愕していた。そして誰一人、わたあめとカモンベイビーに声を掛ける者はいなかった。
「おい転校生……お前、それ本気で言ってんのか?」
 カモンベイビーは、鬼の形相でわたあめに顔を向けた。わたあめは、表情一つ変えなかった。
「どうやらお前には自分の立場を解らせてやる必要があるみたいだな。今日の放課後、校庭に来い。決闘だ」
 カモンベイビーの言葉に、わたあめはこくりと頷いた。
 タイミングよく、授業開始のチャイムが鳴った。
 キンパツ先生がそれと同時に扉を開け、何事も無かったかのように授業を始めた。
 先生の顔は引き攣っており、明らかに先程のやりとりを聞いていた風だが、何一つそのことには触れなかった。
 カモンベイビーは余裕の表れなのか、授業中ずっといびきをかいて寝ていた。

 そして放課後。学校中の生徒、教師達が見守る中で、二人の決闘が始まろうとしていた。
 校庭の中央に二十段も詰んだ跳び箱の上にカモンベイビーが立ち、わたあめを見下ろしていた。
「フン、よく来たな転校生。逃げなかったことを褒めてやる。こいつは貴様への手向けだ。受け取っておけ」
 そう言ってカモンベイビーは花束を取り出し、わたあめに向けて投げ捨てた。


 余裕をかますカモンベイビーに対し、わたあめは始まる前から既にボロボロだった。
「カモンベイビー、さっき階段で二人組みの上級生に襲われたよ。もしかして、あれは君が仕向けたのか?」
「さあ? 知らないな。お前が何かそいつらを怒らせることでもしたんじゃないのか?」
 嫌味ったらしく言うその口調は、明らかに自分がやったことを示唆させていた。
「さあ前置きは終わりだ。そろそろ勝負を始めようか。お前に見せてやるよ。この学校最強の男の実力をな!」
 カモンベイビーは真紅のマントをはためかせ、跳び箱から飛び降りた。わたあめは花束を地面に置き、両手を胸の前に構える。
 二人の決闘の引き金となったクルミは、ただ祈ることしかできなかった。
 決闘を近くで見ようと校庭に集まったギャラリーの中に、わたあめと同様にわたを持つ上級生が一人いた。
(うちのクラスの不良が二人、保健室に運ばれたそうだが……わたあめの奴、転校早々何やってんだ?)
 二人の睨み合いが続く中、一迅の風が吹いた。
「カモン」
 その一声を合図に、わたあめが飛び出した。
 わたあめのパンチを、カモンベイビーはマントを使って往なす。
「そんなもんか転校生。つまらん勝負だ。俺様の必殺技で一撃で静めてやる!」
 カモンベイビーは全身をバネにして一気にジャンプする。そして空中で両足を揃え、ドロップキックを放つ。
「ドラクチャキック!」
 強烈な一撃が、みぞおちに入った。カモンベイビーは勝利を確信した……かに思われたその時だった。
 わたあめの手に持つわたが、車のエアバッグの如く膨らみ衝撃を吸収。カモンベイビーを弾き飛ばした。
「ふんわりガード!」
 カモンベイビーは尻餅をつき、わたあめを見上げた。
「馬鹿な、俺様のドラクチャキックが防がれただと……」
 大きく膨れ上がったわたと、両手でそれをがっしりと掴み凛々しく立つわたあめ。カモンベイビーの額に、冷や汗が流れた。
「クク……ドラクチャキックを防いだのはお前が初めてだ。まさかそいつがお前の盾だとは思わなかったぜ」
 カモンベイビーは立ち上がった。本人は平然とした態度をとっているつもりだが、目は泳ぎ、息遣いは荒く、声は裏返り、足元は震え、その様子は明らかに動揺を隠せずにいた。
「わたは盾じゃないよ」
 追い討ちをかけるように、わたあめが言った。
「わたは何でもできる、不思議なアイテム!」
 わたが縮み、わたあめは上半身を捻り、わたを持った右手を体の後ろに回す。そして一歩踏み出すと同時に、カモンベイビーに向けて一気に振り被った。
「わたたきパンチ!」


 わたを持った拳が、カモンベイビーの頬にクリーンヒットした。
 柔らかいわたで殴られたとは思えない衝撃が、頭蓋骨に響いた。
 カモンベイビーは蹴られたボールのように吹っ飛び、後ろの跳び箱にぶつかった。その拍子に二十段もある跳び箱は崩れ、カモンベイビーはその下敷きとなった。
「ああっ、カモンベイビー大丈夫!?」
 わたあめはあわてて駆け寄り、跳び箱を退けてカモンベイビーを助け出す。
 運が良かったのか跳び箱から受けた傷は浅く、殴られた頬の腫れが一番酷いくらいだった。
「よかった……まさかこうなるとは思ってなかったよ。でも無事でよかった。これに懲りたらもう人の嫌がることはしないでね」
 そう言うわたあめの手を、カモンベイビーは振り払った。その目には、涙が浮かんでいた。
「ぶったな! 父上にもぶたれたことないのに! この俺様をぶったな!」
 カモンベイビーが叫ぶ。
 それまでは行け行けムードだったギャラリーの反応が、急に不穏なものに変わっていた。
「父上に言いつけてやる! お前も! お前の家族も! みんな投獄してやる! 処刑してやるう!」
 カモンベイビーは校門に向かって走り出す。そして校門を出た直後振り返り、
「バーカバーカ! お前の人生お終いだバーカ!」
 そう言い残し、泣きながら逃げ帰っていった。
 わたあめは、言っている言葉の意味がまるでわからなかった。
「おいおいわたあめ、ヤバいことしちまったなお前……」
 わたあめに話しかけてきたのは、友人Aだった。
「一時間目の休み時間に言いかけたまま言い忘れてたんだが、カモンベイビーって奴はな――」


 学校から歩いて十分ほど。小さな一軒家が建っていた。
 わたあめの父が昔住んでいた家であり、これからわたあめ達が暮らす家でもある。
 わたあめは全力疾走で、息絶え絶えで家に帰ってきた。
「おお、おかえりわたあめ」
 掃除機を手にしたエプロン姿の父が、わたあめを出迎えた。
 わたあめの父、名はオヤジ。齢四十七。頭は髪一本無くハゲており、逆に顔の下半分には無数の青髭を生やしている。七年前に妻を亡くし、男手一つで三人の息子を育ててきた。わたあめの家は、男四人の家族である。
「兄ちゃんお帰りー」
 わたを持った一匹のペンギンが、部屋から顔を出した。ペットではない。わたあめの弟、わたぴよである。わたぴよはとある理由でペンギンの姿をしているが、本来はれっきとした人間である。
 その後ろから、三角帽子を被りわたの身体を持つ奇妙な生物が現れた。こちらがわたあめのペット、わたボーである。
 わたボーはちょこちょこと走り、わたあめに飛びついた。
「ただいま父さん、わたぴよ、わたボー」
 わたあめはわたボーの頭を撫でながら言った。


「あっそんなことより……」
「おお、そのことなら知っておるぞわたあめ。いじめっ子をやっつけたんだってな」
 オヤジは嬉々として言った。
「えっ、どうして知ってるの?」
「わたろうが電話で教えてくれたんじゃ」
 わたろうというのはわたあめの兄である。
「うん、そのことなんだけど、実は……」
 わたあめの表情が、急に暗くなった。

 翌日の朝。
 今日はわたあめと一緒に、オヤジも学校に来ていた。昨日の夜に学校から電話があり、呼び出されることになったのである。
 校門の前には、校長とキンパツ先生が立っていた。
「どうも先生、うちの息子が何かやらかしたとのことじゃが」
「何かなんてもんじゃありませんよ!」
 気安く話しかけるオヤジに対し、教師達はカンカンだった。
 と、そこで車体の長い高級車が校門の前に停車した。
 扉が開き、真っ赤な絨毯が敷かれる。教師達は慌てて絨毯の外に逃げ、二人で土下座した。
 真っ黒のサングラスをした厳つい男達と共に、カモンベイビーとその父親が車から姿を現した。
 父親は頭には王冠を被り、胸を張って堂々と絨毯の上を歩く。カモンベイビーは後ろでその真似をして歩く。
「こっ、これはこれは国王陛下、この度は我が校の生徒がとんだご迷惑をおかけしました。ですが彼は先日転校してきたばかり。事情を何も知らされていなかったのです。何卒ご寛大な措置を……」
 校長は額を地面に擦り付けて謝った。国王はそんな校長には目もくれず、オヤジの方を見た。
 オヤジは、明らかにわざとと言わんばかりに絨毯を踏んで立っていた。
「ようカモン、久しぶり」
 そしてこの挨拶である。
「む、オヤジ。ということは私の息子を殴ったのはお前の息子……ハッハッハ、なるほどそういうことか」
 先程まで厳格な王様らしい表情をしていた国王は、急に笑い出した。
「父上! こいつの家族を全員死刑にしてよ!」
 カモンベイビーは、わたあめを指差して言った。
 その瞬間、拳骨がカモンベイビーの頭目掛けて振り下ろされた。
「は、初めて父上にぶたれた……」
 カモンベイビーは頭にこぶを作り、涙目になった。


「先生方、顔を上げて頂きたい」
 国王に言われ、教師達は顔を上げた。
「すまんな。政治や外交で忙しく、息子の学校生活がこんなことになっていたとは知らんかった。他の生徒や先生方に多大な迷惑をかけたようで、心から謝罪する」
 国王はそう言って深々と頭を下げた。そして横で突っ立っているカモンベイビーの頭を押さえつけて下げさせた。
「これからはこいつを一切王子扱いせず、他の生徒と同等に扱って頂きたい。私からの話は以上だ」
 校長とキンパツ先生は、顔が真っ青になった。
「まあ、それはそれとして。久しぶりだなオヤジよ」
 国王はケロッと態度を変えオヤジに話しかけた。
「おお、元気じゃったか?」
「ああ。お前帰ってきたんなら言ってくれればよかったのに」
「まあ、わしも引越し直後で忙しかったんじゃ。すまんの」
 随分とフレンドリーに話す二人に、周りの人は皆ぽかんと目を丸くしていた。
「あの、父さん、国王陛下とは、一体……」
「ああ、こいつはカモンキング。わしの旧友でな、身分とか気にせず話せる仲じゃよ。どれ、これから二人で飲みに行かんか」
「おおいいな。そういうわけだ、お前達後は任せる」
 SP達は一斉に敬礼した。
 そしておっさん二人は、そのままどこかへと消えてしまった。
 皆何が起こったのか理解できないようだったが、一番腑に落ちないのはカモンベイビーであった。
「……俺様、これからどうなるの?」
「大丈夫だよ。これからは友達になろう、カモンベイビー」
 わたあめはカモンベイビーに手を差し伸べる。
「うるせえ!」
 カモンベイビーはその手をはたき、その場を逃げ出した。
「バーカバーカ! 覚えてろよ転校生! いつか絶対ぶっ倒してやるからな!」
 わたあめはぽかんとしていた。
「カモンベイビー、いつか友達になれるといいな……」
 果たしてこのわたわ町でこれからどんな出会いがあるのか。
 わたあめの物語は、まだ始まったばかりだ――。

 

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